ドラマ「塀の中の中学校」を観て [ドラマ]


私は長野県松本市出身です。
中学も高校も松本でした。
しかし、恥ずかしながら、つい最近まで、
日本で唯一ある(世界的にも例のない)刑務所内の公立中学校が、
松本市にあるとは知りませんでした。
それがドラマの舞台となった「松本市立旭町中学校桐分校」です。

ここには、全国の受刑者の中から、義務教育を修了していない人で、
勉学の希望の強い人が選ばれて来ます。
入学の動機は、様々で、
「国語や数学が分からないと恥ずかしく、将来も自分が困るから。」とか、
「勉強に励み、人間として成長したいから。」というものが目立ちます。
しかし、文面には出にくいけれど、生徒は、受刑という目をそらすことのできない現実から
自分の過去の人生の軌跡を直視し、学習をすることを通して何とか更生の道を歩み、
自分の将来に明るい展望を持ちたいという切実な願いを秘めています。
 (旭町中学校桐分校HPより抜粋)


TBSドラマ『塀の中の中学校』(平成22年度文化庁芸術祭参加作品)は、
義務教育を終えていない受刑者たちの姿を通して、
生きることの意味”“学ぶことの意義”を問いかける感動作となっている・・・。
 (TBS『塀の中の中学校』HPより抜粋)

テレビドラマ史上はじめて、実際の塀の中でロケーションが実現したということで、
当然のことながら、臨場感や緊迫感が伝わってきました。

俳優陣も豪華です。
オダギリジョーが学校の副担任(教師)役、
5人の受刑者(生徒)役に、大滝秀治、すまけい、千原せいじ、染谷将太、そして渡辺謙
みんな役者です!!
淡々と、そして自然に・・・。
千原せいじさんが初めはどうなる事かと思いましたが・・、
まわりのベテラン陣に感化され、影響されたのか、違和感なく観ていくことができました。

しかし、なぜいま、このテーマなのか!?
考えながら観ていました。

オダギリジョーさんもインタビューで語っていますが、
罪を犯した人に対して、税金で勉強する場を作ったり、過保護ではないかと・・・。
被害者救済が社会問題化している昨今の状況を考えると、
私も、加害者(罪人)に対して、ここまで面倒をみてやることが本当に必要なのかどうか!?

しばらく消えない違和感を持ちながらドラマを観ていました。

ドラマは、制作者の意図通り、
生きることの意味”“学ぶことの意義”を問いかけてきます。
生きることの大切さ”や“学ぶことの必要性
受刑者たちの辛く悲惨な過去、
誰しも好き好んで犯罪者になるわけではありません。

俳優の素晴らしい演技に圧倒されながら、
加害者たちが更生するための原動力として、こうした施設が必要であり大切なのかもしれないと・・・、
そう思えてきました。
・・・、
・・・・・、
ただし、
やっぱり、ある“違和感”は変わりません。

それが何なのか!?
うまく言葉では表せないのですが・・・、

現在の犯罪者たちの質の変化や
(エリートと呼ばれるような犯罪者たちが増えてきているような・・・)
そして、被害者たちの救済を考えると・・・。

ドラマで訴えかけてきた
生きることの意味”“学ぶことの意義”を見つめ直すだけでは
どうにもならない現実が深く深く横たわっているような気がしてなりません。

なんて、
そんなことをいろいろ考えさせられるドラマだったわけで、
それこそが制作者の意図なのでしょう。

骨のあるドラマでありました。

以上


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。